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飯尾常房(Inoo Tunefusa) 1422〜1485年
武人、歌人、書家。通称は彦六左衛門。祖先は山城国の三善氏、三善康信は公卿であったが、源頼朝に鎌倉に招かれ、門注所の執事となり、その一族政常が阿波・麻植の庄西方の地頭となり、飯尾氏と彦六左衛門を称した。常房は将軍足利義政に右筆で仕え、また、細川成之にもつかえ、室町幕府の能吏、書吏として活躍した。和歌を堯孝法師に学び、書は鳥飼流をよくした。
千 利休(Senno Rikyu) 消息文
堺の人。千家の祖。納屋衆田中与兵衛の子、幼名は与四郎、名は宗易、号は抛斉、利休、利休居士。茶の湯を北向道陳、後に武野紹鴎に学ぶ。わび茶(草庵の小座敷の茶の湯)を基調とし、茶の湯の体系化を大成する。信長、秀吉に仕え、1585年正親町天皇より「利休居士」号を賜り、天下一宗匠と称された。のち、秀吉の怒りにふれ自刀した。
小堀遠州(Kobori Ensyu) 1579〜1647年 消息文
遠州流の祖。近江小室藩主、伏見奉行、遠州守。豊臣秀長の家老小堀新介政次の子。名は正一、後政一、字は作助、通称遠州。号は弧篷庵、宗甫、大有、転合庵。徳川家康、秀忠、家光に仕え、作事奉行を勤める。千利休、古田織部と共に三大茶人と称され、遠州流茶道を興し、その茶風好みは綺麗さびと評された。定家流の書に優れ、和歌もよくした。
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貫名菘翁(Nukina Suo) 1778〜1863年
徳島の人、初め矢野栄教に画を学び、後南画に転じ、空海の書を見て、西宣行、日高徹翁の師事、幕末の三筆の一人。
吉成葭亭(Yosinari Katei) 1807〜1859年 常盤御前
徳島大岡本町の人。名は亀次郎、号は葭亭。吹螺の名人であった。鈴江貫中の父孝之助に画を学び、四条派の画をよくし、特に浮世絵風の人物画に長じていた。NHK大河ドラマ「義経」の場面、常盤御前が牛若を抱き、今若と乙若である。
中山養福(Nakayama Osayosi) 1808〜1849年
江戸で出生、狩野晴川院養信に入門。後藩の絵師となり、徳島住吉島に住む。橋本雅邦と共に狩野雅信にも学ぶ。花鳥画に長じていた。
原 鵬雲(Hara Houun) 1835〜1879年
徳島の人。名は市助、のち一助、号は鵬雲。藩の絵師守住貫魚の弟子。文久元年(1861年)幕府の修好使節団に随行、ヨーロッパを巡歴、後、教育者となり」、広島市で没した。作品はあまり残ってなく、この画は西洋人を描いたもので、貴重な画である。
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広島晃甫(Hirosima Koho) 1889〜1951年
徳島の人、1912年東京美術学校卒業、1919年第一回帝展特選、後帝展、文展の審査員、版画に貢献し、晩年滉人。
森 魚渕(Mori Nabuti) 1830〜1909年
徳島の人。名は宇吉、号は初め美明、後魚渕。9才の時守住貫魚に入門、後各地を周遊した。貫魚門人中最も傑出した画人である。明治15,17年の内国絵画共進会で褒状を受ける。その技が認められ、同25年京都の中学校毛筆画教科書の版下を画く。当寺襖絵の一部。
渡辺広輝(Watanabe Hiroteru) 1778〜1838年 富士の四季
徳島の人、初め藩の絵師矢野栄教に師事、1796年幕府の絵師住吉内記広行に入門、後住吉広貫(広定)を後見、1809年藩の絵師、守住貫魚、鈴江貫中、佐香貫古を育成、画風は住吉派の気品のある細密描写、歴史画、山水、花鳥人物を得意とした。
守住貫魚(Morizumi Tunara) 1809〜1892年 近江八景の一部分
徳島富田秋田町の人。幼名は伸美、名は貫魚、字は士済、通称徳次郎。号は是姓斉,回春斉、輝美、定輝。16才で渡辺広輝に10年間師事、後江戸に行き住吉広定に入門。明治13年に大阪に移住、同17年の第2回内国絵画共進会で金賞受賞。後審査委員,帝室技芸員となり、日本画壇の重鎮となる。この画は若い定輝の時である。
三好賢古(Miyosi Kenko) 1839〜1919年 羅漢図
板野郡勝瑞の人。号は竹香、青連子と称した。14才で守住貫魚に入門、後、住吉広賢に入門。又、高野山で仏画を研修、指画にも長じていた。明治初年に貞光の折目邸へ描画に来て、17年間貞光で寄寓。各地に遊歴し、須磨寺、京都の南禅寺襖絵、八坂神社の三十六歌仙を描いた。当寺襖絵十六羅漢図の一部。
三好賢古(Miyosi Kenko) 1839〜1919年 源氏物語図
月岡雪斉(Tukioka Setusai) 1750〜1839年 月次の絵
父雪鼎に師事し、人物魚類等を得意とした。雪鼎は近江国日野の生まれ、京都の同郷の高田敬輔に狩野派を学び、さらに西川祐信の風俗画を慕い、叙情的で品格のある美人画様式を確立し、月岡派を形成して関西浮世絵の中心的存在となる。
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