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東福寺所蔵 金銅如来形坐像懸仏、鏧子、鐃鉢、半鐘 つるぎ町指定有形文化財に指定。


    金銅如来形坐像懸仏


      半 鐘

      鐃 鉢


      鏧 子

令和2(2020)年9月24日、東福寺が所蔵する「金銅如来形坐像懸仏」「鏧子」「鐃鉢」「半鐘」が、つるぎ町指定有形文化財に指定されました。
昨年10月に当寺が町に申請し、今年8月24日に町文化財保護審議会が、この懸仏が、鎌倉中期ごろの東福寺が、忌部神社の別当寺として神仏混交の信仰を解明するうえで貴重な資料となる点や、仏具に制作年代や作者などが明記されており、町の工芸品の模範になることから指定を妥当とし答申していた。
この指定に関して、徳島新聞で9月30日に報道されました。
詳細は、美術館の工芸品のページを参照

 

弘法大師御入定1185年記念 修行大師像建立

令和2年6月15日、東福寺本堂正面左に、弘法大師・空海の修行大師像を建立し、開眼供養を行った。
この像建立の発願者は、寺庭で、かねてより、お寺境内に、修行大師像の建立を願っており、この度、機縁熟し、建立することが出来ました。
そして、今年は、お大師様が、高野山で御入定して1185年に当り、また、この日は、お大師様の御生誕日でもありました。
この修行大師のお姿は、お大師様の若き日の修行時代のお姿であり、網代笠をかぶり、右手に錫杖、左手に鉄鉢・念珠を持し、背中に負俵、首からは頭陀袋を掛け、脚絆・草履を履いたお姿である。
像高は、全長180㎝の青銅製で、仏像彫刻の大仏師・長田晴山、仏師・晴鳳親子の作者銘がある。

「阿波の7感状」の1通 山田織部への感状 東福寺美術館で公開

平成31年4月24日「徳島新聞」で報道された。
「大阪冬の陣」にて戦功をあげた、蜂須賀至鎮の家臣 山田織部佐への、徳川秀忠による感状である。
その他に蜂須賀の家臣6人にも贈られているので、「阿波の7感状」という。
同様に、徳川家康からも、この7人に感状が贈られている。
今回、この感状が発見されたのは、歴史上貴重な資料である。

東福寺所轄 
端四国霊場のお堂7箇所 
国登録有形文化財に登録

第26番 日浦堂
第26番 日浦堂
第28番 長瀬堂
第28番 長瀬堂
第30番 吉良堂
第30番 吉良堂
第34番 皆瀬堂
第34番 皆瀬堂
第35番 竹屋敷堂
第35番 竹屋敷堂
第36番 引地堂
第36番 引地堂
第37番 浦山堂
第37番 浦山堂

平成29(2017)年5月2日、端四国(はばしこく)八十八ヶ所霊場の10箇所のお堂が、国登録有形文化財に登録された。
徳島県の山間地域には、約600余のお堂があり、特に剣山の北面地域の集落には、5~6m四方の宝形造で、三方に戸が無い「三方吹き抜け」の大きなお堂が多くある。
その中の美馬郡つるぎ町には、江戸時代中期ごろに開創されたミニ四国霊場の「端四国八十八ヶ所霊場」がある。札所の中には、真光寺、西福寺、東福寺、神宮寺、多聞寺、十輪寺の6ヶ寺が含まれ、その他は各地にあるお堂が札所となっている。
そのお堂の中で、江戸時代から昭和初期までに建立された三方吹き抜けの建立当時のままで残っている25箇所のうち、今回、10箇所のお堂が、文化財保護法第57条第1項の規定「文部科学大臣は、重要文化財以外の有形文化財(第182条第2項に規定する指定を地方公共団体が行っているものを除く)のうち、その文化財としての価値にかんがみ保存および活用のための措置が特に必要とされるものを文化財登録原簿に登録することができる」により、登録基準として「国土の歴史的景観に寄与しているものとして」登録された。
その他のお堂(札所)は、建設時は三方吹き抜けが大半であったが、集落の集会所として利用したためサッシ戸や雨戸が入れているため除外している。
阿波のお堂については、以前に調査した東福寺名誉住職沖田定信師(徳島県市町村文化財保護審議会連絡協議会会長)が県下のお堂の中より、ミニ霊場の端四国霊場のお堂を推奨して、各お堂の所轄の寺院が申請したものである。
当寺所轄で登録された堂は、浦山堂、引地堂、竹屋敷堂、皆瀬堂、吉良堂、長瀬堂、日浦堂である。
この登録に関して、答申時に徳島新聞、朝日新聞、NHK徳島、四国放送で報道された。

俳句結社「松苗結社」会長小谷史井氏の句碑建立除幕式が執り行われた

平成28年3月24日午前11時より、東福寺門前に於いて、俳句結社「松苗」会長小谷史井(しせい)(本名小谷喜久一)氏の句碑建立除幕式典が、東福寺住職、名誉住職参加のもと、松苗同人並びに関係者約40名が参列し、執り行われた。
小谷史井氏は、昭和7年に阿南市生れ、昭和24年俳句松苗結社に入門、宮下歌梯氏に師事し、平17年~平成25年大櫛静波の跡を継ぎ、第3代目松苗主宰となる。平成16年より徳島新聞「徳島俳壇」と毎日新聞「徳島毎日俳壇」の選者であり、現在松苗会長である。

句碑建立に至った経緯は、当寺が、半世紀前より、俳人が、吟行、句会に訪れる俳句寺であり、この縁により、平成八年より境内に句碑を建立し、11基、31句の句碑が建っていた。その故から、松苗同人の十川桐水氏が、発起人となり、当寺に句碑を建立したのである。その式典は、先ず東福寺住職・沖田憲信師による御祓い(洒水)、その後、小谷史井氏、ご子息夫妻による句碑除幕、住職の表白、讃嘆(般若心経)、名誉住職沖田定信師の祝辞、祝句披講、主宰代表挨拶、発起人挨拶、祝辞、花束贈呈、祝電披露、小谷史井氏謝辞の次第で執り行なわれた。
その後、記念撮影があり、本堂で祝宴(精進料理)、美術館見学にて当寺での行事が終了した。
後日、3月30日の「徳島新聞」で、この除幕式の記事が写真とともに掲載された。今回の建立により12基 32句目の句碑建立である。

写真は、小谷史井氏謝辞

飯泉嘉門県知事 当寺美術館を見学

徳島県知事飯泉嘉門氏は、十月二十四日午後に、大変ご多忙のところ寸暇を見出し、東福寺にご来寺にお成りになりました。当寺の美術館を見学され、五十分の滞在で帰られました。
ご来寺の契機は、去る十月十九日に徳島県下の二十四市町村に文化財保護審議会があり、その連合会として、「徳島県市町村文化財保護審議会協議会」(略して文審連という)の創立四十五周年記念大会が開催されました。当寺名誉住職沖田定信師が、文審連の会長を務めている関係で、大会のご来賓として出席とご祝辞をお願いに、事前に面会してお願いしておりました。

ご出席いただきました節に、当寺へのご来寺を申し上げていましたところ、早速にお越しいただきました。また、京都総本山仁和寺で勤めていた時にもお越しいただきご案内をしておりましたので、久しぶりの面会でもありました。
後日談では、知事に面会出来たり、ご来寺をいただくことは、ほとんどないとゆうことで、非常に光栄に存じております。

四国霊場開創一二〇〇年記念「空海の足音 四国遍路展」に寺宝を出展

この秋、四国霊場開創一二〇〇年記念四県連携事業として、四国四県の博物館・美術館が「空海の足音 四国遍路展」を開催するに当たり、徳島県立博物館と高知県美術館に、東福寺の寺宝「笈(おい)」「杖」「木札(御室御所御支配)」「納経帳十八冊」「熊野権現影向図」の五点が、出展されます。
この展覧会は、八十八ヶ所の札所に伝わる貴重な文化財を中心に、四国外に伝来する空海ゆかりの宝物、遍路の歴史的な展開や背景を示す多彩な資料が展示されます。この遍路の歴史的な展開の貴重な資料として、他に類のない当寺の寺宝が出展される。
高知県美術館は、八月二十三日~九月二十三日、徳島県立博物館は、十月二十五日~十一月三十日の開催。

徳島市立徳島城博物館 特別展に出展

徳島市立徳島城博物館で、10月19日(土)~11月24日(日)までの間、『狩野栄川院と徳島藩の画人たち』展が開催され、東福寺美術館蔵の4点が出展された。

「富士図」  狩野典信筆
「富士図」  河野栄寿筆
「雲龍図」  矢野栄教筆
「俵大黒図」 矢野栄教筆

徳島県立近代美術館 特別展に出展

徳島県立近代美術館で、10月5日(土)~12月1日(日)までの間、『西洋美術との出会い-徳島の4人 原鵬雲 井上瓣次朗 守住貫魚 守住勇魚』展が開催され、東福寺美術館蔵の原鵬雲画2点が出展された。

「喇叭隊手之図」幕末~明治頃 紙本墨画
125×25.1㎝
「宝船」不詳 紙本墨画淡彩
95.7×47.9㎝

護摩堂落成初護摩供並び大般若転読法要が厳修

昨年12月末に護摩堂が落成し、平成25年1月28日その記念法要として、初護摩供並びに大般若転読法要が、堂内の仏像・仏具奉納者21名が参列のもと厳修されました。
護摩堂内の、仏像・仏具の奉納に関しまして、50人の方々からご志納金をいただき、予定以上の金額が集まり、無事荘厳できましたこと篤くお礼申し上げます。
また、護摩堂・堂内に関しましては、沿革と境内をご覧ください。

護摩堂建設

檀信徒の皆様へ
この度、護摩堂建設は、京都・本山仁和寺の承認のもと建設することになりました。
そこで、堂内を荘厳をする仏具の奉納者を募っております。奉納ご希望者は、当寺までお問い合わせください。
ご協力よろしくお願いいたします。

完成は、12月中旬の予定です。
形式は、木造寄棟造本瓦葺。6m×7m

本堂国登録有形文化財登録記念 「三好賢古展」開催

貞光寄寓の住吉派絵師三好賢古展の開催
この度、東福寺本堂が、国登録有形文化財に去る2月23日に登録されました。<brこの登録の記念として、「三好賢古展」を企画いたしました。
本堂には、32面の襖絵があり、そのうち16面は三好賢古絵師が描い ております。その襖絵、また、軸装、額縁の絵画など、美術館所蔵50点を下記の日時で展示いたします。

日時:平成24年3月31日(土)~4月5日(木)  午前9時~午後5時
場所:東福寺美術館

東福寺本堂を登録有形文化財に答申

文化審議会(西原鈴子会長)は12月9日、つるぎ町貞光木屋の東福寺本堂を、登録有形文化財(建造物)にするよう中川正春文部科学相に答申した。国土の歴史的景観に寄与していると評価された為である。
徳島県内で有形文化財に登録された建造物としては、99件(38カ所)となる。

東福寺本堂 江戸時代 天保4(1833)年建立
木造平屋建寄棟造本瓦葺 桁行26.2m梁間13.1m
当本堂は、東大寺を模して建てられた裳階(もこし)造りであるが、一部庫裡(くり(住宅))が併設されているため、下屋(げや)を廻らした平屋造りという。寄棟造本瓦葺で、周囲に下屋を廻らし、正面に唐破風(からはふ)造銅板葺の玄関を構える。正面は東向きで、東面に広縁を通し、その奥を八間取りとし、後列南から第二間目を本堂内陣とする。北寄りは、もと庫裡。風格ある外観の真言宗の本堂である。
徳島新聞報道された記事 平成23年12月10日付

細川氏の古文書発見の報道

南北朝時代の武将、阿波の初代守護細川和氏(かずうじ)と、いとこの足利尊氏陣営の軍事をつかさどる細川顕氏(あきうじ)が、現代の板野郡藍住町に本拠を置いた地頭・漆原三郎五郎にあてた恩賞の原本のもの。
醍醐天皇により、建武の中興(1333)が始められた時足利尊氏は、細川和氏を阿波守に推挙し、細川定禅を讃岐に居住させた。
足利尊氏は建武政権に離反して、九州に西走する時、阿波守(細川和氏)と兵部少輔(細川顕氏)に国において、勲功の軽重に応じて恩賞を行うように仰せ付けられた文書。
徳島新聞に大きく報道された記事 平成23年1月26日付

名誉住職後七日御修法に定額僧として奉修

平成22年1月11日名誉住職沖田定信師は、京都・東寺灌頂院で厳修された「御七日御修法」に定額僧とし て奉修された。
後七日御修法は、中国の唐の高僧が皇帝のために始めたもので、空海(弘法大師)の進言により、834(承和元)年に宮中の真言院で営まれたのが始まりです。翌年には、空海自ら導師として奉修されました

高松市在住 金森白峰氏「鐘がなる」作詞しCDを奉納

平成20(2008)年5月、以前より度々来寺していた高松市在住 金森白峰氏が、東福寺並びに門前の「子育て観音」を歌詞にした「鐘がなる」という歌をつくり、当寺にCDを奉納された。
金森氏は、全国音楽著作家協会会員、日本詩人連盟会員で代表作に沖縄サミット音頭、高松サンポート音頭があり、他に四十一曲を作詞されている。
この「鐘がなる」の歌は、誰にでも歌える童謡のような曲であり、ぜひ一度聴いていただきたい。聴きたい方は、当寺の子育て観音をお参りくだされば聴く事ができます。また、この曲は東福寺の歌で聴くことができるようになっている。
なお、2008年12月14日全日本音楽著作家協会(会長 遠藤実)より第8回「こころの歌」コンサート入選曲となりました。

名誉住職 京都創生「東京講座」で講演  山折哲雄(宗教学者)と

名誉住職沖田定信師は、平成19年12月21日東京文京区シビックホール・小ホールにて第2回東京講座「花に託される思い」で講演いたしました。
この講座は京都市が主催したもので、1200年にわたって独自の文化を培ってきた京都、グローバリズムの中で伝統と文化を守り、受け継いでゆくことの大切さ。京都の月と花をテーマにスポットをあてて2 回の講座を開いたものです。

名誉住職  叙勲の栄

名誉住職沖田定信師は、平成19年秋の叙勲で、瑞宝双光章を受章されました。平成11年秋にも藍綬褒章を受章されております。昭和41年からの保護司として更生保護の功労の受章です。

水田慶泉の絵画を奉納

去る平成19年11月、水田慶泉画伯の「石庭」画を京都市在住で、ご子息の水田忠雄氏が、東福寺に寄贈されました。
この「石庭」は、昭和54年(1979年)東丘社第36回塾展の作品で、変形100号サイズ(145.5cm×145.5cm)の日本画です。

慶泉画伯は、大正3年(1914年)、大阪の生まれ。父は南画家の水田竹圃。京都市立美術工芸学校卒。
父、竹圃の画塾に入り、水墨画を学ぶ。昭和8年(1933年)の帝展に初入選、のち色彩による堅固な風景画を展開。昭和31年(1956年)堂本印象の画塾(東丘社)に入る。
帝展、文展、日展、新日展に出品し特撰等を受賞する。また、仁和寺の高松宮記念書院の襖絵32面を画き、金閣寺の天井復元に参加している。
平成9年(1997年)京都死去。享年83歳。

増井芳信氏 蔭山渉氏 本堂欄間を奉納

平成19年10月、木屋の増井芳信氏と貞光(宅熊出身)の蔭山渉氏が、本堂正面三間に、龍の付け彫り金箔極彩色の欄間を奉納されました。
これは、新住職・憲信師が、晋山にあたり、両家先祖代々菩提の為に奉納したものです。

三好一賢氏 三好賢古の作品40点を奉納

平成18年10月18日、住吉派の画人三好賢古(1839~1919年)の仏画、歌人、人物、花鳥、粉本等40点を同人の曾孫三好一賢氏(広島国際学院大学名誉教授)より当東福寺美術館に奉納されました。また、平成18年11月11日に徳島新聞にも報道されました。

半田 やすらぎ苑 当寺を見学

やすらぎ苑のデイサービス利用者が、7月6日、10日、12日、13日、19日の5日間、延べ約130人当寺境内、美術館を約30分間拝観されました。
これは、やすらぎ苑のデイサービス利用者である半田住民が、当寺の境内見学の要望が大変多かったため計画されたものであり、当利用者の65歳以上のお年寄り及び身体障害者、40歳以上の介護保険認定者を対象に、社会適応訓練等の目的で、知識、教養等を身に付けるための一環として実施されました。
拝観内容は、まず本堂で当寺境内の説明その後、縁伝いに境内を見て回り美術館を拝観し、お茶を飲んで一休みして帰られました。見学された方のほとんどが、初めて当寺に訪れた方で、大変喜んで帰っていかれました。

徳島新聞で住職の談話を紹介

徳島新聞2005年8月30日の「ぴーぷる」の欄で。沖田定信住職は、三日坊主修行10周年に当たり、談話として「子供は今も昔も純粋で素直、ちゃんと指導すれば、何でも出来るようになる、近年多発している青少年犯罪についても、子供が変わってしまったという意見があるが、子供が悪いことをしても、見て見ぬふりをする大人が増えていることが問題」と警鐘を鳴らす。
また、「青少年を語る人は多いが、先ず、行動することが大切」と紹介されました。

徳島新聞 第362回読者の写真コンクール特選

「修行の合間」平成17年7月28日撮影

三好郡三野町芝生  吉本保夫氏
選評「きれいに並べた草履を手前に、玄関先で正座する、小坊さん、すっきりして画面がさわやかです。」徳島新聞8月10日刊より。
吉本氏は偶然に、座っている風景に出会い、シャッターを押したという。写真は吉本氏提供。

三日坊主修行10周年記念

子育て観音像開眼

本年も三日坊主修行を平成17年7月28日、29日、30日に40名の小学生によって実施いたしました。
修行最後の日、30日午前11時より、子ぼんさん全員と住職、副住職、外2名の僧侶によって観音像の開眼法要を行いました。
この観音像は、花崗岩製で像高5m(蓮台含む)、鉄筋コンクリート造りの仏間の上に安置したもので、総高8mあります。
三日坊主修行10周年を記念して、子供たちの健やかな成長を願って「子育て観音」と名付けて建立したものです。なお、今年も四国テレビ、関西テレビ、徳島新聞、朝日新聞、読売新聞の各社によって報道されました。

第10回「三日坊主修行」を開催

当寺では、子ども達が修行により、「辛抱」と「思いやり」と「協調」を養い、交流により「親睦」と「相互によいところを発見する」ことを趣旨で平成8年より実施しております。本年は、特に鳴門教育大学が平成16~17年に文部科学省から委嘱を受け、徳島県教育委員会ならびに協力校とともに「道徳教育の充実のための教員養成学部等との連携研究事業」を実施していて、県下の3小学校の協力校の小学生と大学院生と当寺に申し込まれた小学生と共に実施することになりました。サブリーダーの大学院生・三好由香さんのレポートをご覧ください。

期日:平成17年7月28日(木)~30日(土) 二泊三日
場所:東福寺

第55回社会を明るくする運動 美馬地区決起大会

社会を明るくする運動は、戦後の混乱が続いていた昭和26(1951)年から、犯罪や非行のない明るい社会を築くために始まった全国的な運動です。
テーマとして、「全ての国民が犯罪や非行の防止と罪を犯した人たちの更生について理解を深め、それぞれの立場において力を合わせ、犯罪のない明るい社会を築こうとする全国的な運動」です。
この運動は、法務省の主唱により、毎年7月を強調月間として全国で開催され、本年で55回目となります。
犯罪や非行が生まれるのも地域社会であり、また、罪を犯した人や非行をした少年の更生をする場所も地域社会であります。よって、本年も本運動の重点目標を「地域活動の推進による少年の非行防止と更生の援助」と定めて、美馬郡つるぎ町、美馬地区保護司会、美馬地区更生保護女性会共催で実施することになりました。

期日:平成17年7月20日 13:30
場所:つるぎ町貞光就業センター
演題:「非行・犯罪と私たち」
講師:東福寺住職 沖田定信

NHK放映「天涯の花」当寺で撮影

天涯の花は、宮尾登美子氏の小説で、NHKテレビドラマとして、平成11年11月に放映された。
その一場面が7月28日に当寺本堂を利用して、主演須藤理彩(平珠子役)さんが出演撮影された。

第1回全国忌部サミット

忌部氏は古代の朝廷祭事を担当し、大和朝廷成立に大きな役割を果たしたという。
この忌部一族が全国各地に行き、穀、麻、織物、製紙、陶芸、農業、音楽等を伝え産業技術集団で殖産興業に貢献した。
これらの忌部氏ゆかりの人々600余人が集まって、阿波忌部が拓く「古と未来との架け橋」のテーマで、去る、6月25日(土)、26日(日)、吉野川市アメニティセンターで開かれた。
住職沖田定信も忌部別当寺として、シンポジウムのパネリストとで出演した。住職は「忌部の精神を生かせ」として、忌部の特色である使命感、開拓精神、殖産興業、団結力等をもって、歴史を学び交流により、独自の地域おこしをしてはどうかと提言した。

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